夜の貴重なお時間にご訪問いただき、誠にありがとうございます。楽食楽生クリエイターのちえ(@funky_nutrients_c25)です。
2021年10月24日16時46分。わが家に来て18年の家族モウちゃん(雄猫)が息を引き取りました。
SNSが発達してからは家族の写真をできるだけ載せないようにしてきましたが、文章として残しておきたいので、写真を多めにして語ろうと思います。
モウちゃんが家族になった日
私がうつ病を発症してから約1年。グループホームで働いている時に彼はやってきた。母が外でかわいがっていた子だ。
その日は雪の予報が出ていた日だった。「どうしよう? 家に連れてきてしまおうか……」。悩むくらいならということで、わが家に迎え入れた。
母猫から引き離された直後に母と出会ったようで、彼にとっては母が母猫の代わりだった。そのせいか、母以外の家族にはあまりなつかず、いつも逃げ回っていた。
父と私と妹を徐々に家族だと認識し、寄りつくことはないが行動は見守っているという状態が長らく続いた。
モウちゃんの転機
モウちゃんが自分から母以外の人にすり寄るようになったのは、姪1がハイハイをするようになってからだ。ものすごい勢いで追いかけてくるので、諦めがついたようである。
そこからはかわいさがヒートアップ! わが家のアイドルになった。
何をしてもカワイイ。それまでは、モテ要素が強かった過去の家族チビくんが一番だったが、その子をはるかに超えてきた。
子供も動物も同じだと思うが、カワイイと言われると嬉しいのだろう。「モウちゃん、カワイイねえ! モウちゃんが一番よ〜」。家族の誰かに言われると、いつも嬉しそうにしていた。
年齢を重ねたこともあり、甥も成長して姪2が生まれると、かわいさの最上級を超えた。親バカ全開で申し訳ないが、食べてしまいたいくらいにカワイイのである。
モウちゃんと私
闘病中の出来事
話は過去に戻るが、モウちゃんがわが家にやってきた時の私は、かなり奇行を繰り返していた。
生きるのをやめたくて、家を飛び出すことはしょっちゅうで……。時間に関係なくソレはやってくるため、その度にモウちゃんが教えてくれたそうだ。
私が大量服薬(オーバードーズ)をしてしまった時は、出かけていた父と母は猛ダッシュで帰ってきた。意識を取り戻した時、私は病院のベッドの上だったので、その時のことは何も覚えていない。
ソファの上でこん睡状態だった私と一緒に、モウちゃんはぐっすり眠っていたそうだ。想像するとちょっと笑ってしまう。いや、家族は笑える状態ではなかったと思うが……。
私の精神状態に波があったので、私が近寄っても逃げなくなったのは症状が落ち着いてきた後である。動物はこういうことに敏感。それでも、ナデナデはさせてくれていたので、実はセラピストとして最強だったのかもしれない。
母を守る強さ
私と母はよく言い合いをする。口調は私の方が強いことをモウちゃんはよく知っている。
いつものことなので、父も妹も右から左へ受け流していたが、母を自分の母親だと思っているモウちゃんだけは違った。ものすごい眼力で私をにらんでくる。「またお母さんをいじめているのか」。そんな感じでいつもにらまれていた。
モウちゃんは母と私のかすがい猫であった。
あっという間の四十九日(遺体の写真あり)
大好きなブロッコリーを盗んだり、家族がいない時に悪さをしたりすることは、2021年に入ってからなくなっていた。健康診断でも特に何も言われなかったため、歳なのだろうと思っていた。
モウちゃんの体調が具体的に悪化したのは6月に入ってからである。5月くらいからふらつきが見られ、加齢のせいだと思っていたが、全く脚に力が入らなくなって本人も落ち込んでいた。
肥大型心筋症と診断され、そこからは徐々に食欲が落ちていった。それまでは(通称)カリカリ以外を食べさせていなかったが、魚やササミも嫌がるため、チューブタイプの食事に切り替えた。
ある程度の覚悟を持って日々を過ごしていたが、10月24日の午後にその瞬間は訪れた。1時間半ほど苦しみ、母の腕の中で亡くなった。
まるで、眠っているかのよう。みんなに愛された子だった。
あれから49日。モウちゃんは虹の橋を渡って天国に行ってくれたと思う。
みんなを見守ってくれて、家族にたくさんの笑いを与えてくれて、カワイイ仕草をたくさん見せてくれて、本当にありがとう。
私がそちらに行くのは、まだずっと先だと思う。いつかまた、会えることを願っている。もう泣かないよ。だから、今日はたくさん泣かせてね。