今年は地震から始まった年だった。それ自体は私の生活に影響はなく、石川県在住の親戚や友人・知人もいないことから、個人的な厄とは言わなくていいだろう。
※私にできることは微々たるものですが、1日も早い復興に向けてできることを続けていきたいと思っています。
2024年の3大事件
アブローラー顔面強打事件
私の個人的な厄の始まりは4月から始まった。宅トレ中の出来事だ。アブローラーで、いわゆる“立ちコロ”をしていた。
私にとって立ちコロはチャレンジの一環で、その日はもう1回いけるだろうと見越して6回目を始めた。ガンッ! 一瞬の出来事に、自分でも何が起こったか分からなかったが、軽く脳しんとうを起こした後に理解が追いついた。顔面強打をしたのだ。
実際にはどこを打ちつけたのかが分からなかったが、鏡を見ると鼻から軽く血が出ていた。口の中も少しだけ切れていた。頭の流血は免れた。歯は折れていなかったので、それだけは救いだった。
少しずつ冷静になり、まずは服を着なければと思った。万が一にも、このまま気を失ったら、あられもない姿で発見されることになるからだ。それだけは避けたかった。
さらに冷静になり、頭を打っていたとしたら大変な事だと思い、病院に行くことを考えた。時間は18時を過ぎており、診察時間は終わっている。こういう時は救急車を呼ぶべきか? いや、意識はハッキリしているから歩いて行くか?
家に誰もおらず、ひどい頭痛ではなかったこともあり、電話を入れてからテクテクと歩いて行った。そこから地獄は始まった。
救急車で運ばれてきた患者が優先されるため、診察と検査までに1時間、結果が出て会計をするまでプラス3時間かかった。この時に待合室で興味深い話に聞き耳を立てていたのだが、それはまた別の機会にあらためて書くことにする。
しっかりと話せていることもあり、脳に問題はないだろうということで、被ばくを最小限に抑えるためにもCT検査は鼻周りだけで終わった。全く折れていなかった。人生で初の鼻血が出たというだけで終わった。
翌日は頭痛がひどくなり、今度は脳神経外科で診てもらった。アブローラーを説明しても「はて?」の反応を見せた医師にビックリしたが、脳には全く異常がなかった。何ごともなくて良かったが、無駄にお金だけが消えていった。
入院中なのに交通事故事件
アブローラー事件から少し時はたち、7月の半ばにそれは起こった。相棒が交通事故に遭ったのだ。
彼は昨年の11月から入院中である。かかりつけの検査病棟で面会ができない。その代わりにコンビニや近くの飲食店に脱走することは主治医が認めてくださっていて、電話をしたり一緒に夕飯を食べたりすることはできていた。
事故に遭った日は私が電話に出られず、翌日に電話するようにLINEで伝えていた。それに対する返信後、コンビニ帰りにぶつけられたらしいのだ。
翌日に事故のことを知らされたが、情報が二転三転して状況が分からない。ぶつかった日は彼自身が意識を失っていたため、入院中だった病院もどの病院に運ばれたかが分からない状況だった。
結果として彼は全治3カ月の重症だった。大事な左肩と左腕が折れ、ろっ骨も数本だけ折れた。左肩に関しては、2度も手術することになった。私のアブローラー事件は事件でもなんでもなかった。
彼にとって腕は商売道具である。完治後の状態によっては、何十年と磨いてきた腕をお客様に提供できなくなる。裏方の仕事はできても、表に出ることが難しいかもしれない。人生が大きく変わるような状況を突きつけられ、彼は暗闇のどん底に落ちていった。私も暗闇の底に落とされた。
事故後は地獄の日々だった。起き上がることができず、電話もできないことから、約3カ月ほど会話のできない状態が続いた。近所の病院なら毎日でも面会に行くのだが、仕事もあるのでそういうわけにもいかなかった。面会時間が短く、顔を合わせても大した会話はできなかった。
この頃の私を救ったのは、ヒゲダンのアルバム『Rejoice』と庄司夫妻の会話動画だ。とにかく会話がしたかった。内容など特にない日々の何気ない会話が、私にとって重要な役割を果たしているとは思わなかった。それがあるのは当たり前だったから……。
幸いなことに骨は回復したが、今でも完全に腕を上げるところまでは回復していない。リハビリはしているし、本人も頑張っているが、先のことは何も分からない状況が続いている。
旅行前のコロナ感染
Official髭男dismのボーカル藤原聡さんが復活を果たし、2年ぶりのアリーナツアーを楽しんだ11月。月末には旅行を予定していた。
しかし、旅行の3日前には喉の違和感とともに発熱をしてしまった。私は風邪では発熱しない。翌日には39度まで上がり、検査はしていないがコロナだと確信した。
実は、1回目に感染した時と症状の出方が同じだったのだ。せきが出ない。以前はワクチンが効いていたためにかなり軽かったが、今回は5日くらい熱が出続けた。味覚障害も起こり、高熱があっても落ちることがない食欲も少しだけ落ちた。
熱が下がり始めると以前と同じように空せきが出てきて、切れにくいたんが続いた。軽く後遺症もあり、ブレインフォグが1週間くらい出ていた。
こんな不幸があるのか? 旅行前にコロナだなんてついていない。キャンセル料も発生したため、またしても気分が落ち込んでしまった。
挙げ句の果てには、良性発作性頭位めまい症が出てしまった。これはアナログな方法で治すしかないのだが、出てしまうと平衡感覚を失うので座っている事もできない。
サヨナラ最悪な2024年
今年は2人とも年男年女である。私はたったの1週間だけだが、ぶっ飛んだ年女を過ごしたと思う。
良かったことと言えば、ヒゲダンの復活とアルバム発売であった。これがなければ、生きた実感はなかったかもしれない。
最悪な2024年だったが、相棒が生きていてくれたことは不幸中の幸いだったと言える。2025年はとにかく穏やかに生きていきたい。