急に死が訪れても後悔しない生き方

こんにちは!(^-^)/ ご訪問いただき、
誠にありがとうございます。

「急に死が訪れて」って!
楽に楽しく生きることとなんの関係があるの?

ビックリしますよね^^;

すごーく関係があるので、
今回は死生論と絡めたお話です。

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誰にでも急に死が訪れる可能性はある

私が死生論について興味を持ったのは、
14歳の頃に起きた衝撃的な出来事です。
19歳だった従兄が交通事故で亡くなったこと。

子供の頃や若い頃って、
いつか訪れる死と自分の死をリンクさせる瞬間って少ないです。

ところが、
身近でショッキングな死が訪れるとこう考えるようになります。

ああ、おばあちゃんになるまで生きられるとは限らないんだな。

東日本大震災や豪雨災害、
世界中を振り回してくれている新型コロナウイルスなど。
老若男女問わず、
明日には命がなくなるかもしれないということが、
当たり前に存在していますね。

では、もし、その当事者になったとして、
後悔しないように生きている人ってどれくらいいるのでしょうか。

今の生き方に満足しているか

先日、ふと真面目に考えてみました。
もし、数分後に自分の命が途絶えるとして、
私は後悔が残らないだろうかと。

答えは「残らない」でした。

自分の考えで人生の選択をし、
やりたい仕事に就いたり、
ダイビングや旅行をしたり、
友だちとバカをやったり、
ライブやフェスに行ったり、
余計だったとは思うけど病気もしたり……。

食べたいものはほとんど食べたし。
あと何が残っているだろうと。

やりたいことはまだあるし、
まだ食べたことがない食材や料理もあるし、
行きたい場所もたくさんあります。
会いたい人もいます。
ライブにも行きたいです。

でも、「残らない」という結論に至りました。

子供の頃に思い描いていた人生とは全く違いますが、
今の生き方に満足しているなあと思ったんですよね。

あまりこういうことを考える時間を持つ人っていないと思いますが、
皆さんはどうですか?

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自分の生きたいように生きているか

病気をして「死にたい」と強く思っていた頃は、
矛盾しているけど「もっと生きたい」と強く願っていました。
だから、治療をしていたわけだし。

でも、それだけって悲しいですよね?
そこには「どう生きたいのか」ってことがスッポリと抜けていました。

なので、
その時に命が途絶えたとしたら、
後悔でいつまでも霊として浮遊していたんじゃないかと推測します。
生きたいように生きていないから。
人生が楽しくないのは病気のせいにして、
病気を治すことしか考えていない。

何かのせいにしていると、
生きたいように生きるってなかなか難しいです。

病気になっても、
障害を抱えたとしても、
老いを重ねて若い頃のように動けなくなったとしても、
家族という障壁があったとしても、
自分がどうしたいかが全て。

その時点での自分の状態や環境を受け入れつつ、
どうしたら自分が楽しめるのかを工夫する。
それが生きることだし、
満足するってことなんじゃないかなと思います。

何かを理由にブロックがかかっているのだとしたら、
なぜ外せないのかを考えてみる必要がありますね。
そこから開放された時に、
「楽に楽しく生きる」が手に入るのではないでしょうか。

編集後記
編集後記

Instagramにポストしたので、見ていただいた方もいらっしゃると思いまスガ。先日、スガシカオのラジオ番組でメールが読まれたんです!

その数時間前のこと。買い物帰りに歩いていたら、手の甲に鳥のフンが落ちてきました。フンだけに「クソッ」と思いましたが、運がついたようです。めでたし、めでたし笑

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